【アラベスク】メニューへ戻る 第15章【薄氷の鏡】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)

前のお話へ戻る 次のお話へ進む







【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [7]




 まぁ、この子と恋愛って、どう想像しても結びつかないよな。瑠駆真に恋してるなんてあり得ないか。この子って、誰かに敵意は持てても、誰かに好意を持つなんて事はできなさそうだもんね。
 胸の内で舌を出しながら大袈裟なため息をつく美鶴に、緩の怒りが増す。
「だ、だ、だいたい私はあなたと違って軽々しく他人に心を許したりなんて致しません」
「軽々しく心を許す?」
「人を好きになるという事ですわ。相手の素性などを考えもせずに、見た目だけでほいほいと心を奪われるなんて、品が無いったらありません」
「人を好きになるって、そういう事なワケ?」
「あなたのような尻軽女にはわかりませんわ」
「尻軽って何よ?」
「あら、だってそうでしょう? 相手の事を考えもせず、ただ自分の感情のみで好き勝手な行動をしている。あなたがどれほど山脇先輩の事を想っているのかはわかりませんけれど、本当に山脇先輩に心を寄せているのならば、写真に撮られたような行動など、取れるワケがありませんわ」
 そうよ。あんな軽々しい行動、取れるワケがない。壮麗で優美な御姿を汚すような行動、取れるワケがない。山脇先輩とのキスは、もっと神聖で清らかなものでなければならない。それは純粋な愛を持つ者にしか許されないはずなのに。
「そもそも、あなたは山脇先輩の事をどれほど想っていらっしゃるの?」
「私は瑠駆真の事なんて、なんとも思っていない」
「まぁ、想ってもいないのにあのような行動に出るなんてっ」
 両手を握り締める。
「山脇先輩を弄んでいるとしか言い様がありませんわね」
 悔しいかな、瑠駆真は美鶴に想いを寄せている。認めたくはないが、それは周知の事実。
 山脇先輩はやっぱり騙されているんだわ。こんな、好きでもない相手と簡単にキスをしてしまう魔物のような女に、山脇先輩は騙されている。
「ケダモノ」
 喉の奥から絞りだす。
「山脇先輩の恋心を踏みにじる悪魔」
「悪魔って」
「悪魔ですわ。とても人間とは思えない。山脇先輩の純粋な御心を弄ぶ魔物」
「弄んでなんか、いない」
 そうだ、美鶴にはそのつもりはなかった。だが、曖昧な態度をとり続けた結果、瑠駆真と、そして聡をも少なからず傷つけてしまった。それは認めざるを得ない。
 罪悪感から、激しく反論ができない。
 そんな美鶴の態度に緩が畳み掛ける。
「弄んでいますわ。でなければ好きでもない相手と」
「だからあれば私の意思とは関係無くって」
「関係が無ければあのような写真は撮られなかったはずですわ」
「だから」
「あの写真が流れて、山脇先輩がどのようなお気持ちだったか、あなたにはわかります?」
「そ、それは」

「美鶴と噂になるのは別に迷惑じゃない」

 甘い声が耳の奥に響く。
 あの写真、瑠駆真はむしろ嬉しかったという事だろうか? それは、私の事が本当に好きだから?
「瑠駆真の気持ちなんて私にわかるワケがない」
 言い澱む美鶴に、緩は瞳を細める。
「ええ、そうですわよね。わかるワケがありません。だって、あなたはそういう人間なんですもの」
「どういう意味よ?」
「人の純粋な恋心なんて、あなたのような軽薄な人間には理解できませんわ。絶対に」
 絶対に、と語気を強める緩の言葉に、美鶴はなぜだか胸の内が騒ぐのを感じた。
「別に、瑠駆真の気持ちそのものが理解できないというワケじゃない」
「でも、あなたにはわからないのよ。どうせ人を好きになった事もないのですわ」
「じゃあ、アンタはあるワケっ?」
 その言葉に緩が胸を張った時だった。
「こんにち… あら? お二人はお知り合いでしたの?」
 どことなくぼんやりとしたようなのんびりとしたような声。振り返ると、幸田(こうだ)(あかね)がニコニコと笑いながら立っている。
「幸田さん」
「こんにちわ、冷えますね」
 言いながら両手に抱える荷物を持ち直す。
「でも、なんだかお二人はとってもお熱つそう」
「え?」
 熱いって、ひょっとして幸田さん、私とこの子との会話を聞いてたの? ってか、そう言えば、ここ駅前じゃん。
 慌てて周囲を見渡し、どう言い訳をしようかと緩を見る。と
「あ、の」
 心なしか声の震える緩。勘の鋭くない美鶴でもわかる。
 そう言えば幸田さん、お二人はお知り合いかとかなんとかって言ってたな。と言う事は、幸田さんとこの子は、知り合い?
 パチクリと瞬きする美鶴。なぜだか蒼白気味の緩。二人の前で一人だけ笑顔を絶やさない幸田が、ごく当たり前のように口を開く。
「ちょうどよかったですわ、緩さま。これからご連絡をしようと思っていたのですよ」
「え? 私に?」
「はい。この間のお約束の材料が整いましたの」
「この間の、って」
 明らかに動揺する緩の態度などお構いなし。慌てて遮ろうとするのも間に合わず、幸田は笑みを湛えたまま首を傾げた。
「ゲームの衣装ですわよ。ご協力してくださるのでしょう? 早速作成に取り掛かりましょう」
「ゲームの、衣装?」
 怪訝そうに首を傾げる美鶴の言葉を合図とするかのように、途端、身体を硬直させる緩。。直立不動で瞠目したまま、何か言いたげな口はパクパクと金魚のように動くだけ。
 そんな緩の姿に気づいているのかいないのか、幸田は楽しそうにもう一度荷物を持ち直す。
「善は急げですわ。もしよろしければこれからお越しくださいません?」
「あ、いや、私は」
 しどろもどろに断ろうとする緩。そこにトドメの一言。
「ゲームの衣装って、あんなコスプレみたいなヤツの事?」
 美鶴が指差す先では、手作りの衣装に身を包む楽しそうな若者の一団。
 緩の目の前が真っ暗になり、そのままヨロヨロと膝から崩れ落ちる。慌てて駆け寄る幸田と、状況にやや慄く美鶴。緩はこの後、この二人によって霞流邸まで連れて行かれる事となった。



 事の始まりは、クリスマスイブの夜にまで遡る。美鶴が聡や瑠駆真と霞流邸で予期せぬ時間を過ごし、小童谷陽翔が赤信号の交差点に飛び出した日の事だ。
 緩は、関東で行われたイベントに参加していた。
 緩が没頭する恋愛ゲームを製作したゲーム会社が企画したイベントで、声優も出演してゲームの世界を体感しようという内容だった。観客はもちろんほとんどが女性。毎年クリスマス頃にこのようなイベントが行われるのはファンの間では当たり前の情報で、公演期間が短い事もあり、チケットは発売と同時にほぼ完売してしまう。チケットを確保する為に、常にネットのチェックは欠かせない。
 いつも、亡くなった母の実家へ行くのを口実にしている。たまにしか会う事のできない孫が一人で出掛けるのを祖父母は咎めない。行き先を聞いてもはっきりとは答えない緩を問い詰めようとはしない。夜には帰ってくるのだ。孫に嫌われてまでしつこく聞こうとは思わない。
 イベントは最高だった。お目当ての声優の声も聞けたし、何より周囲を気にせずにゲームの世界に浸れるという安心感のような開放感のようなものがあった。
 普段はそうはいかない。学校では恋愛ゲームにハマっている事は絶対秘密だし、家でゲームをしている時でも、父や義母が二階へあがってこないかと注意を払わなければならない。部屋の鍵をし忘れたのではないかと不安になり、せっかくのゲームを中断して確認する事もある。
 そして何より厄介なのが、隣部屋の義兄。







あなたが現在お読みになっているのは、第15章【薄氷の鏡】第2節【似て非なる】です。
前のお話へ戻る 次のお話へ進む

【アラベスク】メニューへ戻る 第15章【薄氷の鏡】目次へ 各章の簡単なあらすじへ 登場人物紹介の表示(別窓)